(db)

あまいかやさいかおたく。そしてもふもふ。
あまいかやさいかおたく。そしてもふもふ。

【明日に心臓を握られ、しゃがみこむように】 (XS)

 松葉杖をつく音も、控えめなノックの音も。
 ドアノブが捻られた音も、蝶番が軋む音も、彼の気配さえも。
 聞こえただろうに。

 市松模様の床に足を踏み入れ、スクアーロは眼を眇めた。そこからそれ以上歩みを進められなくなってしまう。夕空を見遣る赤い眼は何も映していない。窓ガラスを透かして外を見ることすら出来ていないかもしれない。
この部屋に足を踏み入れた時、「生き恥を晒しやがって」と言われたそうだ。「俺を哀れみ満足したか」と、言われたそうだ。
燃えるように赤い夕焼けに染まる真っ赤な部屋で、それでも色をうずめられず怒りに燃える赤は、それはそれは鮮やかで、美しくて。その赤に焚きつけられるように、必死に意味が解らないことばかり口走っていた。胸を掻き毟りたい気持ちを声にした。何か言葉にしないと伝えられないと知って紡いだ言葉は、ちっともちゃんとした形になどなっていなかった。
 ただ、何も失っていないと、スクアーロはそれだけ確信したのを覚えている。
―――と、そう「知っている」。

 与えられた記憶の中の自分はあまりにも自分のようで、気味が悪い。
叫んで、縋って、ついには殴って、泣き喚いて、どうしようもなく愛して、もう一度誓っていた。
もう一度誓わせてくれと乞うていた。
髪を切るさまも、百番勝負を終えて剣帝を名乗るさまも、脳裏に焼きついている。気味が悪い、自分のようなもの。
 けれど、彼は何があろうが見紛うことがないものを、この世にひとつ知っている。記憶の中で彼と対峙するのは、いつだって誰と見紛うはずもない、ザンザスだった。

だからこそスクアーロは、今、己が同じ事をしても、何の意味もないだろう事を悟っていた。

 執務室に足を踏み入れてから、しばらくその入り口で立ち尽くしていたスクアーロは、体勢を少しだけ、前のめりにした。松葉杖を差し出す。先端に着いているゴムが床に触れ、摩擦を起こし、彼を支える。彼の足は音をさせなかった。歩くたびにカシャンカシャンと、松葉杖だけが不自然な音をさせた。腰の下まで覆う長い、長いままの髪が、前に進もうとするたびに背中から流れて、視界を狭くする。
 スクアーロの長い影がザンザスを覆って、初めて赤い目が上がる。うろんなその視線でだって、赤は失われない。彼も十年の記憶を持っている。話さなくたって自分たちが何を会話したのかが脳裏に浮かぶ。

 視線を絡ませたザンザスが、うっそりと笑んだ。
脳裏に浮かぶ彼はスクアーロを殴り、瞳を燃やし、激昂していたが、言わなかった言葉がある。
ザンザスは勿論その言葉を思い浮かべた記憶を持っているし、スクアーロも珍しく彼の言わんとしていることを解っていたと思う。

「さぁ、俺を見限るがいい」と、ザンザスは思っていた。

 何度目のことだろうか、彼が己を捨てることを期待していた。
そうすればきっと、やっとスクアーロを得れた。理解できた。
そうして失っただろう。
他の一切の言葉を投げ付けて、この言葉だけは口にせずに、ザンザスは彼が今度こそ終いを告げると思っていた。
 だが、スクアーロがザンザスを見限ることは、終ぞなかった。

 そして記憶の中では、それから十年の時が流れていた。
十八になった沢田綱吉は何の滞りもなく十代目ドン・ボンゴレを継承したそうだ。現役を退いて程なく老衰と病にじわりじわりと蝕まれた九代目はその命を終え、ザンザスは沢田綱吉の率いるボンゴレを守った。スクアーロの髪はもう一度伸びていた。
 嫌でも解るだろう。彼らがその夢を叶えることはなかった。

 真反対の表情をして、やはりザンザスは思う、「さぁ、俺を見限るがいい」と。

 記憶の中で二人は十年という月日を初めて共に過ごし、互いに変わり、互いが互いを変えていた。それは、「今この時だ」という、失う為のきっかけを失い、どろりと底暗く流れる時の中で、繋いでしまった手を離せず済し崩し的に過ごしているように、ザンザスには見えた。
蓄積された十年の記憶だ。昨日と今日程度の落差はきっかけにならずとも、十年の重さはとばりを落とすだろう。与えられた経験を伴わない記憶の中のスクアーロが告げなかった別れを、今度こそ聞くことになるだろう。
 それでいい。なんて好都合なことだろうか。
詰らなくても、叫ばなくても、言いたかったことは既に伝わっている。
十年毎日猜疑心に苛まれなくて済む。
十年、毎日脅えなくても済む。
 視線が絡めば銀の目はきちんと汲む。言葉にしなくても、言葉にしないからなおさら、間違いないと主が告げていると理解した。スクアーロの眉間が深く翳り、きつく結ばれた唇が開く。包帯が横切る顔が俯いた。

「もう、いらねぇよ、何も。」

 ぽつりと落ちた声に、ザンザスは更に口角を引き上げた。
「何も欲しくねぇ、何も期待しねぇ、何も待たねぇ、
 何も好きじゃない何も嫌いじゃない、何もいらない…なにも…もう、」
 長い長い銀糸を引いて、頭が上がる。予想していなかった、泣きそうな銀色とぶつかる。
薄い唇が、一度息を吸って引き結ばれた。そのまま、もう一度綻んだ。

「―――アンタ以外、…なにも! …あんた程は…ッ」

 澱んだ赤が冴えて、見開かれる。
やっと焦点が合ったように、スクアーロの下唇が赤いのに気が付く。濃い歯型が刻まれて震えている。
 思わずザンザスはそれに手を伸ばした。
親指が淡く触れて、なぞる。ぬるい体温と、かさついてささくれた唇に載る湿り気が伝わる。何十年ぶりかに触れたような気がした。
 少し、ガラス球みたいな眼を逡巡させ、結局その手に己の手を重ねることはなく、スクアーロが続ける。
「…っ…じゃあ、オレ、…行ってくるなぁ」
 松葉杖を直角にしただけで、二人の温度は離れた。脇に力を入れると更に距離は遠くなる。ゆっくりと主へ背を向けた。杖をつかないと歩けない状態の所為だけとは思えないほど、彼の歩みは遅い。滝のようにその背を流れる髪が揺れるさまを、ずっとザンザスは目で追っていた。
 記憶を違え、その背にザンザスが何かを言うことはなかった。
 十八年の時を経て、スクアーロが彼を見限ることなど、やはりなかった。

 耳を澄ましているのに、ドアの向こうで松葉杖をつく音が聞こえない。
聞こえるはずのない音が聞こえる。膝をつく音が、銀の髪が床に流れ広がる音が、聞こえた気がした。


 彼らが共に過ごした時間は、まだ一年にも満たない。



―――――【明日に心臓を握られ、しゃがみこむように】2010.07.07
【遠吠えなど聞こえない】の手前の話。

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